おれんじ(OLANGE)という人間について

どうも、おれんじ(OLANGE)と申します。

RじゃなくてLです。

オレンジじゃなくて人間です。

ここでは僕の自己紹介をしますが、特に人生の役には立たないのでお急ぎの方は読み飛ばして下さい!

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プロフィール

僕のプロフィールをまずは簡単に紹介します!

■名前:おれんじ(OLANGE)。名前の由来は後述します!

■年齢:アラサーとだけ・・・ゆとり世代ももうアラサーですよ・・・

■職業:社畜サラリーマン。職業とは

■家庭:妻が一人います。妻にどうしても書けと言われたので追記しました。

2020年、長男が産まれ、3人家族になりました。

■好きなもの:車、旅行、哲学、麻雀、睡眠、ラーメン、投資

■嫌いなもの:睡眠不足、雨、人ごみ、注射、冬の寒さ、夏の暑さ、煽ってくる車

■座右の銘1:「なんとかなる、どうにでもなる」

■座右の銘2:「悠々自適」

■座右の銘3:「できる楽はする」

ざっくりとこんな感じです。それではいくつかピックアップして、もう少し詳しく書いていきます。

おれんじ(OLANGE)という名前について

僕の名前はおれんじ(OLANGE)です。

おれんじという名前はなんとなく昔から使っていたのでそれにしました。特別オレンジが好き!とかって訳でもないです。

では綴りですが、果物のオレンジはORANGEですよね?

なぜ僕の名前はRじゃなくてLなのか?

「GLAYがRじゃなくてLなのって理由は諸説あるけど、普通じゃないのってカッコいいよな~~。せや!RをLに変えてOLANGEにしたろ!」

それだけです・・・

・・・

だって、GLAY、カッコいいじゃないですか。

あと単純に人と違うのってカッコいいじゃないですか。

2019年始まって以来一番どうでもいい情報でした。

アラサーの社畜です

知ってますか?ゆとり世代ももうアラサーなんです。働き盛りなんです。

働き盛りなのはいいんですが、働き過ぎなのが僕です。

時は2019年。世間では「働き方改革」なんて言っているのに、僕はほとんど毎日のように日が回るか回らないかって時間まで働いています。

「働き方改革」程度じゃあダメだ。「働き方革命」くらい起こってくれ。

こんな言い方はしていますが、仕事の内容自体は好きです。面白い仕事だと思っています。

ただ・・・

ただもう少しでいいから残業時間が減ればいいのになあ・・・・・

と、思う日々です。

座右の銘「なんとかなる、どうにでもなる」

これは本当に僕が思っていることで、大概のことはなんとかなるし、どうにでもなります。

その時は瞬間的に「ヤバいなー。マズいなー。絶望的だなー」と思っている事も、なんだかんだなんとかなります。

それに、人生は本質的に自由なもので、自分次第でどうにでもなります。

この2つの言葉を思い出すだけで自分は最強になれます。

それにある有名なミュージシャンも言っています。

”ちょっとぐらいの絶望も長い目で見りゃ極上のスパイスを味わえる”

とか

”何にもないって事 そりゃあなんでもアリって事 君の行きたい場所へ何処でも行ける”

とかって言っています。

「なんとかなる、どうにでもなる」

自分の気の持ち方次第で人生は無限大です。

このブログについて

 このブログは2019年の1月20日(日)に開設、1月28日(月)に最初の記事を投稿し、今に至ります。

僕にとって初めての「ブログ」です。

かなりの飽き性の僕ですが、このプロフィールを書いている時点でブログ開設から1ヶ月以上経っています。

自分で言うのもなんですが、何かを1ヶ月以上続けられる事って中々無いので、この「ブログ」は僕と相性が良かったのかもしれません。

今のままの調子で半年、1年、その先も続けていけたらいいな~と思っています。

このブログが長く続き、そしてたくさんの人に読んでもらえることを祈っています。

という訳で僕おれんじ(OLANGE)のプロフィール、自己紹介でした!

ではでは~~

・・・・・・・

・・・・・

・・・もうちょっと続けます笑(ここからは2021年2月追記)

おれんじ(OLANGE)、僕の生い立ち、経歴

平成〇年、爆誕

僕は平成生まれの「THE☆ゆとり世代」です笑

ゆとりゆとりと言われて育ってきましたが、2021年の今では「ゆとり世代」も立派なアラサーです笑。

平成生まれということで、空前の好景気に沸くいわゆる「バブル期」を肌で実感することはなく育ってきましたが、ある意味その方が幸せだったのかなとも思っています。

ちなみに僕の親は「地方だからバブルとかそんな実感はなかった。バブルとか都会の話でしょ」なんていう風に言っていました。

これは、その時代を実際に生きた人の「実際の肌感」であることに間違いはないと思います。

一方で、2021年の今を生きる僕から見れば、「定期預金で年6%とか7%とかいう意味不明な金利で運用出来ていた時代」と見えているので、「地方でも十分バブルの恩恵受けてるよね」と思っています笑。

保育園時代

ほぼ記憶にないです笑。

親からよく聞く話では、保育園の階段から落ちて頭を打ち、3針も縫うまあまあのケガをしたらしいです。

でもその手術中に一切泣いたりしなくて、術後に「えらかったね~」って言われて病院の先生にお菓子を貰ってウキウキで帰ったそうです笑。

なかなか肝の据わった保育園児ですね。

なお、今となってはアラサーにも関わらず注射が大嫌いな大人になってしまいました笑。

小学生時代

「ゆとりは円周率3で習ったんでしょ?wwwwwwww」なんてよく言われてますよね。

でも、少なくとも僕の通った小学校では「円周率は3.14」で習いましたよ!!!

それはさておき笑。

僕の小学生時代は、勉強は出来る方運動は出来ない方、ざっくりそんな感じでしたね。

当時、自分で自分のことを「天才」だとか言って調子に乗りまくっていましたね笑。

一方で運動はあまり得意な方ではなく、小学生ながら半ば割り切っていた様な気がします。

「かけっこで負けて悔しい!」とかそういう思いはほぼ無くて、「僕は運動は出来ない、それはそうなんだ、でも勉強は出来るし天才だからそれでいいんだ」みたいに思っていた気がします笑。

当時どこまで意識していたかは分かりませんが、今思えば「悔しい」とかそういう感情を持ってもストレスになるだけで何も解決しないし、じゃあそのストレスから逃げよう、みたいな思考回路だったんだと思います

「悔しいから頑張って何とかしたい!」みたいに燃えるタイプではなくて、「出来ないことはやっても仕方がないんだから、出来ることを頑張る方がいいよね」みたいな感じでしょうか。

でも、今では忘れてしまっているだけで、おそらく当時はそれなりに悔しい思いはしていたとは思います笑。

都合の悪いことは忘れていくんですね笑。

中学生時代

中学生時代も基本的には今までと変わらず、勉強は出来る方運動は出来ない方、でしたね。

それでも中学では運動部で3年間頑張りました

偉い、偉すぎる。

褒め称えてあげたいですね笑。

おかげでこの頃、体力はかなりついたと思います。

3年間、頑張ってよかったなと今ならそう思えますが、当時は何度辞めようと考えたことか・・・笑。

夏の体育館、土曜日の延々と続く地獄の基礎錬、人生で一番「体力の限界」まで頑張った時期ですね。

「いっそのこと倒れてしまえば楽になれるだろうから、倒れるまで頑張ろう」なんて思っていたのを覚えています笑。

それでも、残酷なことに、人って案外倒れないものです笑。

一方で勉強の方は、この頃もまだ絶好調でした。

向かう所敵なし、とまでは言わないまでも、かなり出来る方ではあったと思います。

でも今でも覚えていることがあって、将来的に国立大の医学部に行った友人がいて、彼と3年間張り合っていたんですが、結局3年間、勝ち抜けたことは1度もなかったです。

中学1年の時こそ、本当に僅差で渡り合っていたんですが、年々少しずつ差が開いていったような気がします。

死ぬほど悔しかったんで今でも覚えているんですが、中学1年の1学期の中間テスト、つまり中学入学後一番最初の定期テストの話です。

5教科、トータルで500点満点な訳ですが、僕が「486点」で、その友人が「489点」だったんですね。

これが死ぬほど悔しくて、今でも点数まで忘れられないほど強烈に記憶に残っていて、多分この先も一生忘れることはないんでしょうね笑

運動は「自分には向いていないもの」と思っていたので、負けて悔しいどころか最初から勝負すらしているつもりじゃない、ってくらいの意識でしたが、勉強は違いましたね。

勉強は「自分の得意分野」と思っていただけに、負けると本当に死ぬほど悔しかったですね。

高校生時代

中学まで勉強は出来ていたんですが、進路についてちゃんと考えるということはあまりしていなかったので、特に何も考えずに「友達が多いから」くらいの理由だけで地元の公立高校に進学しました。

で、この「進路についてちゃんと考えるということ」を本当にしていなかったので、高校入学から色々と怪しくなってきます笑

まず、中学時代から夢にまで見た「帰宅部」になります笑。

それはまあいいんですが、勉強へのモチベーションが急激に下がり、一気にやる気が無くなりました笑

今思えば本当に何も考えていなかったなと思うくらい、自分の将来について考えることをしていなかったですね。

どういう次元かというと、公立とは言っても自分の家から自転車で通える距離にある「なんちゃって進学校」に入学したんですが、高校1年生の時点では大学に行く気すらありませんでした笑

自分がどこに向かうのかも分からず、魂が宙に浮いている状態と言うか、そんな感じでした。

でも「なんちゃって」とは言っても「進学校」なので、周りの友人は皆「どこの大学に行くか」っていうニュアンスの話をしていたりするんですね。

さも「大学に行くこと自体は大前提」みたいなノリですよ(そっちの方が普通なんですが笑)。

一方の僕は「大学に行くとかなんとか、全然意味分からんし、適当に働けばいいんじゃない?」くらいに思っていたんですね。

具体的な思いがあるわけでもなく笑。

それで、勉強のモチベーションも維持できるはずもなく、テストで名前だけ書いてわざと0点取って、目立って楽しむなんてことをしたこともあります笑(先生、ごめんね、悪気はなかったんです笑)。

でも、「周りの空気感」とか「3者面談」とかを繰り返すうちに、「あれ?もしかして大学行かんといけない感じ?」みたいな感じで見事洗脳されていったんですね笑

それで、「やっぱり自分も大学行くんか」と思った時には高校2年生、中学の頃勉強が出来ていたとはいえ、一度遅れを取ったら巻き返すのはまあまあ厳しいもので・・・。

ここからは省略しますが、結局自分の地元でもない県外の大学に進学することになります。

大学生時代

来たぜ人生の夏休み!!!!!!

・・・と思い描いていた現実とは程遠く、普通に勉強せんとあかんやん・・・と思う日々でしたね。

でも、それでも、今思えばやっぱり大学時代は「人生の夏休み」でしたね・・・

何もかも懐かしい・・・。

日々麻雀に明け暮れ、徹夜で麻雀しては自主休講し、落とした単位は数知れず・・・。

1歳下、2歳下と受けた講義も数知れず・・・。

生活担当みたいな教授に「このままいくとヤバいよ」って親にもチクられ、親に心配を掛けまくり・・・(今思えば大学生にもなってそんなフォローしてくれるなんて良い人すぎましたね)。

そんな感じで両親には心配を掛けまくりましたが、この記事をもし見ることがあれば、この場を借りて謝りたいと思います。

不真面目な息子で、その節は本当に申し訳ありませんでした

でも、僕も全く勝算無く遊んでいた訳ではなく、一応ギリ何とかなるラインを攻めていたんですね笑。

謝ったかと思えば次の瞬間には屁理屈をこねる、小さい頃からそうでしたね笑。

で、結局なんとかギリギリ、本当にすれすれで、なんとか留年することなく4年で卒業できました

実質アウトか!?と思ったこともありましたが、本当に、なんとかなりました笑。

いやー4年間、頑張りましたね笑。

でも勉強はともかく笑、社会に出てから大事なこととか、自分で生きていく為の力とか、そういう事を学べたという意味では本当に重要な4年間だったと、今でも思います。

よく分からない時代笑

なんかちょっと良い話っぽいことを言ったと思ったらすぐに落とします笑。

「新卒カード」というサラリーマンになる為の黄金の切符を捨て、そのまま大学を卒業してしまいます笑

ここに行きつくまでには色々あり、最初から就活をしていなかった訳ではないんですね。

当時、自分が行きたかった業界の会社を2,3社は受けたんですね。

で、不採用と。

「そもそも働きたくもないのに、しゃーなしで働いてもいいよ」って言ってるのに、どういうこと!?!?

と逆ギレし、完全にやる気をなくします。

そして、「やっぱ働くとかサラリーマンとか、控えめに言ってクソやな」と思い、「自分の手で稼ぐ道」に進もうとします。

大学生の頃から既に「とにかく働きたくない!!!!!!!絶対に働きたくない!!!!!!!」という思いだけは強烈に持っていて、それが今に至るまで維持されています笑

この思いが「FIRE(セミリタイア)」を目指す主な原動力になっています笑

でも致命的なことがひとつあって、当時、色々と「自分の手で稼ぐ」案は考えてはいたんですが、具体的に「これならいける」という物はなかったんですね。

絵に描いたような「ダメパターン」ですよね笑。

それで、模索しながらも日々の飯を食つなぐためにバイトをし、バイトで疲れて「やりたいこと」をする時間は確保できず、やっぱり「ダメパターン」じゃん!と思い始めます。

で、大学卒業から1年も経たないうちに、「よし、これはダメだ、進路変更だ」と思いバイトをやめ、派遣社員として働き始めます。

派遣社員時代

ここでも「働きたくない」思いが現れてきます。

働こうと思ったのに、なぜ正社員を目指さずに派遣社員として働き始めたのか

理由は単純で、「嫌だと思ったらすぐ辞められる」からです笑。

そりゃ正社員でも辞められますけど、なんだかんだ辞めにくいじゃないですか、実際問題。

でも派遣社員なら「嫌ならすぐにでも辞めるというカード」をキープしつつ、「良いなと思ったら正社員登用を目指して頑張るというカード」も持つことが出来て、つまり「選択肢」を持ちやすいんですよね。

それでとりあえず派遣社員で働き始めて、運が良いことに「労働時間こそ長いけど残業代はちゃんと出るし、何より皆良い人で、働きやすいな」と思いました。

「皆良い人」と思えたのが、やっぱり一番大きいですね。

なのでそのまま頑張って、2年くらいした頃に正社員採用されました。

社畜時代←今ココ

そう、「皆良い人」なんです。

「すごく恵まれた環境」だなと思います。

ただ、

ただ、労働時間が、

労働時間が長すぎる!!!!

これだけがネックですね。

そして致命傷ですね笑。

一番ヤバかった時は1ヶ月で2ヶ月分の給料が入ってましたからね笑

さすがにちょっとバグりすぎでしょ笑、って思いましたね。

で、まあなんやかんやあって、「働かなくてもいいなら働きたくない」という思いは僕の中に脈々と流れているので、それを目指し始めたんですね。

経済的自由、「FIRE(セミリタイア)」達成時代←夢、目標

「生きていくのに困らない十分な資産があり、労働をしなくても自由に生きていける」

こんな、まさに僕の思い描いていた理想、「FIRE」が最近どうやらブームになっているらしく!!!

そんなの目指すしかないじゃん!!!!!!

って本気で動き始めたのが2020年のことです。

2020年以前も、「働きたくない」という思いはずっとあったので、社畜になった後も色々と模索はしていました。

投機みたいなことも含め色々試し、結局どうやら「投資信託」でインデックス運用をするのがよさそうと知ったり

(でも結局金欠になった時に全部現金化してやめたり笑)

「ブログ」を運営することで収入が増やせると知ったり

(でも結局仕事が鬼のように忙しくて継続出来ずにやめたり笑)

色々紆余曲折はありましたが、本気で「FIRE(セミリタイア)」を目指し始めた今、「今まで試してきたことが全て繋がった」と感じることが出来て、史上最高にモチベーションが高まっています!!

さいごに

生い立ち、経歴を追記しようと思って頑張って書いてみましたが、予想通り超大作になりました笑

でもなんか謎の達成感に包まれています笑。

これだけ書いたら、ここまで読んで貰えたなら、僕「おれんじ(OLANGE)」という人間について、ある程度は理解して貰えるかも?とは思っています。

という訳で長い長い自己紹介でした。

冒頭でも紹介していますが、Twitterもやっていますので、興味のある方は見てみてください!

ではでは~~